" I " 言葉 noblesse oblige

逆さまの蝶は光に向かう。そして世界を

超・フェルメール鑑賞術(講座) By森村泰昌 #2俺用講義ノート

 

 

さて前回のつづきを。

 

フェルメールの風景画は

小路

『デルフトの眺望』

の2つしかないという話でしたね。

 

 

 

 

 

それでは『デルフトの眺望』

 

 

 

の前に、

今回の参考文献

『ヘルメスの音楽』より「光の充溢」浅田彰

 

を森村さんが解説、考察。

 

森村さん「浅田さんむつかしこと言うてるから聞いても分からんと思いますけど。僕もようわからんかったし(笑)でもちょっと読んでみますね・・・(引用)・・・ね?分からんでしょ?」

 

 

 

 

ここを書くにあたって、

もちろん『ヘルメスの音楽』を手に入れようと思ったけど割と入手困難で検索したらどこも在庫なし!!

アマゾンは中古のみ要相談ってやつだし。

頼みの綱の図書館でも閉架扱いでぐぬぬ。

 

その図書館も時間的になかなか行けず・・・

 

 

 

こ、ここは文明の利器いんたーねっつで!!

 

と、

 

ググったら、

 

 

 

このブログが1ページ目に出てきたんごwww

 

 

ってレベルなんで、

 

また手に入ったら捕捉します。

 

 

 

 

 

そんなこんな、

資料がないので、

 

 

ごくごく簡単に言うと、

 

フェルメールと、

同じ17世紀オランダの画家であるレンブラントを比較して、

 

フェルメールスピノザ的だけど、

レンブラントホッブズっぽいよね、

 

って浅田彰がうにょうにょむつかしく書いてるんだけどもうちょっと分かりやすくならへん?って話。

 

で、

 

俺はこの時点で何となく分かった。

 

まだまだ不勉強だけど、

いきなりスピノザとかホッブズとか言われてもうろたえない程度には鍛えられてきたらしいw

 

ホッブズってあれだろ?リヴァイアサンだろ?

スピノザはえっとえっと・・・

 

『汎神論』

 

そうそれ!!

 

 

 

ここで、美術の豆知識。

今はキャンバスと言えば白色だけど、

元々キャンバスって黒色だったらしい。

 

ぬーん。

知らなかったー。

 

黒地に色を載せていくのが普通だったんだって。

レンブラントなんかも黒。

 

白色のキャンバスが主流になるのは、印象派から。

絵を見れば何となく分かってもらえると思うけど。

 

そして、フェルメールは白地のキャンバスに描いた、

印象派の先駆けみたいな存在だそうな。

 

 

 

と言うのを踏まえて二人を比較すると、

 

レンブラントは、闇、混沌の状態に、自分が描くことで、カオスの中に秩序が現れてくる。そして、『夜警』に代表されるようにものすごく大きい「大作」ばかり残しているまさに「大芸術」。

 

で、

これは、ホッブズの、絶対的な君主を置くことで混乱した社会を統治する、という考え方に通じる、と。

 

 

一方フェルメールは、

一粒一粒光を集めるように、日常の一コマでさえ、無償の輝きを放ち魅了するものがあると。

 

これは、スピノザの『汎神論』に通じるのではないか、と。

 

 

森村さんが読んでくださった浅田さんの文章を一文だけメモしておいたので引用。

浅田彰 「(フェルメールの作品は) 信じがたいほど美しいという信じがたいほど無意味な言葉を繰り返すしかない」

 

 

で、

自分が思ってたことがだいたい当たっていたので独りで小さくドヤぁw

 

 

そしてその、

 

「美しい」ってどういうことなんだろうね、と。

 

 

※超ミラクル推薦図書!!

「美しい」ってなんだろう?ー美術のすすめ森村泰昌

 

 

 

 

☆『デルフトの眺望』

 

デルフトの風景を描いた非常に美しい絵です。

 

これは流石に1m四方はあるみたい。

 

そしてこの絵も、『小路』同様、

 

室内の部屋から見下ろしたような構図。

 

光の加減から、時刻はおそらく午前7時くらいとのこと。

 

一見すると、

きれいなデルフトの朝。

 

でも、

この『デルフトの眺望』も人の気配がほとんどない。

 

手前の岸には数名の人物を確認できるが、

対岸の街は静まり返っている。

 

また、手前の空は少しどんよりとした雲がかかっていて

向こう側はとても明るい。

 

これはいったい何かありそうだ。

 

 

実はデルフトには大きな弾薬庫があったのだが、

1653年その大量の爆弾の大爆発をおこし、

街に甚大な被害が及んだという歴史がある。

 

当時、オランダではファブリチュウスという画家が活躍しており、

フェルメールはファブリチュウスを継ぐ期待の星だったとか。

 

そのファブリチュウスは件の大爆発で亡くなってしまったのだ。

 

この背景を踏まえて、絵を観ると、

 

手前の岸が現実で運河を挟んで対岸の美しい風景はあちらの世界ではないかと言うのだ。

 

これは、

ファブリチュウスをあちらに送るところだと。

 

河を渡るための小さな船。

手前の岸に描かれている人物は、

ファブリチュウスと彼を見送る妻子に、

そしておそらくフェルメール

さらに、確かに、少し離れたところに聖職者のような人物が見える。

 

 

フェルメールはファブリチュウスへの追悼の想いをこの絵に込めたんじゃないかな、って話でした。

 

 

 

やっぱりちょっと難しくてあまりまとまってないが・・・

 

 

 

 

次回は、いよいよあの有名な絵が!?

たぶん次が最終回。乞うご期待☆

 

 

つ・づ・く・・・

2012年泣き納め

 

 

小児在宅の勉強会に行ってきた。

 

 

 

勉強会って言うと堅苦しいけど、

 

 

医師や看護師の他に、

 

 

院内学級の先生や、理学療法士さんなど、

 

 

 

普段あまりお話を聞く機会の無い方が登壇されていたり、

 

 

小児がテーマと言うことで患者さんの親御さんも参加されていて何だか盛りだくさん。

 

 

お昼を挟んで朝から夕方までみっちりだったけど、

 

 

あっという間だった。

 

 

参加者300名強。

 

 

笑いあり、涙ありのアットホームな会だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

涙あり・・・・・

 

 

 

 

 

そう。

 

 

 

 

 

 

それな。

 

 

 

 

 

 

 

またやらかしたったwwwww

 

※「また」とは・・・→参照

 

 

 

 

 

・・・手、挙げよかな・・・・やっぱな・・・

 

・・・いや・・・イチ参加イチ発言・・・だろ?・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

覚悟を決めた俺は、

 

 

脳内で5回くらい妄想して挙手ノ

 

 

 

 

 

 

 

そして、マイクの前でしゃべりはじめたら

 

もうどうにも気持ちが先に先に溢れてきて

 

 

涙に変わってさあ大変。

 

 

 

 

 

 

段取りとは(笑)

 

 

 

 

 

 

 

ほんでまぁ、

 

 

なんだかんだで伝わるものがあったようで、

 

 

終わってから何人もの方が声をかけてくださって、ありがたや。

 

 

一番びっくりしたのが、

 

自分が関わっている親御さんが参加されていて、

 

お声かけいただいたこと。

 

 

せっかく泣き止んだのにwww不意打ちwww

 

 

デラはずかしいわwww

 

 

 

 

 

 

しかし、

 

言ってみるもんやなぁ。

 

 

 

 

 

 

 

泣き虫はちーっとも直らないけど、

 

今年は剣道でも、実生活でも飛び込み面が打てるようになったね俺。

 

 

 

 

 

今年もう少し残ってるけど、

 

 

来年はもっと頑張れそうだなって思いましたまる

 

 

超・フェルメール鑑賞術(講座) By森村泰昌 #1 俺用講義ノート

超・フェルメール鑑賞術(講座)

@朝日カルチャーセンター新宿

12月15日、16日

講師:森村泰昌

 

 

初めて朝カルって所に潜入したけど、

なんかものっそい独特な空気やね。

おっさんおばはんばっかりやったけど、

いったいどんな人が参加してるのか謎w

 

 

別にフェルメール大好きとかではなくそれなりやけど、

森村さんがおもろいことしゃべるならと思って申し込んだまで。

 

 

三行で言うと、

 

何か最近フェルメールはやってるけどなんで!?

フェルメールの絵って意味深だけどどんな秘密が!?

大胆!?森村説とは!?

 

とかそんな話。


俺的に“ナマ森村さん”は、

広島での藤原帰一さんとのトークイベント*以来。

  *2010年11月27日(土) 広島市現代美術館

   記念対談:20世紀を思考する対談集に収録)

 

 

 

 

 

 

美術鑑賞は好きだけどド素人だし、何の予習もせず行って大丈夫か!?と思いつつ。

 

 

 

 

☆森村さんが今回参考にした文献

フェルメール デルフトの眺望』アンソニー・ベイリー

フェルメール 窓からの光』喜多尾道冬

『ヘルメスの音楽』より「フェルメール 光の充溢」浅田彰

 

 

 

自分素人なんで、

専門的なツッコミはなるべく勘弁してくださいと断っておいて、

では。

 

 

フェルメールについて

 

まず、

フェルメールの作品について簡単にメモ。

 

17世紀にオランダで活躍した画家。

 

フェルメールと言えば、

真珠の耳飾りの少女』や『牛乳を注ぐ女』

のように、女性の人物画がほとんど。

 

彼の作品数は、32~36点と言われているが、

その内、風景画は

小路

『デルフトの眺望』

という2点のみ。

 

また、フェルメールの絵はとっても小さい。

20cm×30cmとかそんなん。

 

 

 

では各論。

 

※絵については、

画像を拾ってきて貼っていいものか分からないので

自分でググってね。

 

 

☆『小路

この絵は、デルフト(フェルメールが住んでいたところ)の風景を描いたものと思われるが、この構図に一致する風景は存在しない。

そのため一般的には、コラージュではと言われている。

 

本当にそうなのかもう少し詳しく見てみると、

この絵は風景画にもかかわらず、「室内から見下ろす形で描かれた」ことが分かる。

そしてそのさらに言うと、フェルメールの自宅のアトリエから運河を挟んで向こう岸に見える風景を描いたものである。

 

え?

さっき、一致する風景はないて言うたやん。

 

 

 

まぁ落ち着け。

 

 

確かに現存する風景は、ない。

 

 

フェルメールは、聖ルカ組合という画家の組合に所属していて、理事も務めた。

その聖ルカ組合の建物がフェルメールの家と運河を挟んだ向こう岸にあったことが記録から分かっている。

ではフェルメールはその聖ルカ組合を描いたのでは?と言うと、

残存する資料にある聖ルカ組合とは似ても似つかない。

 

で、もうちょっとさかのぼると、

実は、聖ルカ組合が建てられる以前、

その場所は養老院(たぶん今でいう老健)だったらしい。

フェルメールが描いたのは、

アトリエから見える養老院だったのだ。

 

そして、仔細は分からないが、その養老院を取り壊して聖ルカ組合を建てたようだ。

 

 

では、何故フェルメールはその風景を描いたのか。

 

 

画家が活躍するために重要な組合の新しい建物が出来る嬉しさと、

見慣れた風景がなくなっていく寂しさ、しかも、養老院という社会的弱者の場所が新しいものに塗り替えられてしまうことに対するどこか複雑な気持ちが混ざっていたのではないか。

なくなってしまうものを何か形に残そうとしたのではないか、

ということが推測できる。

 

実際この絵は、どちらかと言うと暗い。

ドアが閉じられていたり、ほとんど人気がない。

窓も黒ぃし、

 

複雑な心境の表れでは、という話。

 

 

みんなもそういうことない?

昔ながらの小さいお店がなくなって駐車場に変わったの見たら、

何か哀しくならへん?たぶんそういうの。

 

 

 

小路』は初めて知ったけど、すごく気に入った俺はおセンチ?

本物観たい・・・

 

 

 

って実はたぶん観てるんだよなー

 

こないだアムス行ったときに。

 

全然記憶にない。

 

もうね、

俺のバカぁ!!と脳内でリピート。

この件については後半で後程もう少しkwsk

 

 

 

以上、

小路』についての

森村さんの解説&考察+ちょっと俺のコメントでした。

 

 

次回『デルフトの眺望』とか、

浅田彰曰く「レンブラントフェルメールホッブズスピノザ

の話とか、

の予定でー

 

つ・づ・く・・・

 

イベント終了からが本番なんだよっ!!

 

MA déshabillé

レセプションパーティー

國分先生のトークイベントに参加した俺が、

トーク終了後について熱く叫ぶコーナーです。。

 

 

 

 

一つ前の記事の続きな。念のため。

 

 

 

 

 

トーク終了後、

素敵なフィンガーフードを摘まみながらのワインタイム。

ちゃっかり割と飲んだ気がする。

 

フィンガーフードっていうんですね。

こんな感じ→YOROKOBI

 

 

みなさんお友達さんやお知り合いの方が居たようですが、

 

単品の俺は、

 

一歩、

 

また一歩と

 

國分先生ににじり寄るのであった。

 

 

 

そしてチャンスがぁぁぁぁっ!?

 

國分先生の方から声をかけていただけたうわぁぁぁぁぁぁ

 

村田さんサイドかと訊かれたので、

 

「こここっ國分先生のファンとして来ました」

 

言ったぁぁぁ!!

 

「以前にサインもいただいております」

 

よし行け!!

 

「昨日の報道ステーションもばっちり見ました!!」

 

「どうだった?」

 

レスポンスきたー!!!!!

 

「お変わりなくイケメンだなと」

 

緊張と程よいワインが相まってつい本音が。

いやそうじゃなくて中身w

 

「前日の大阪でのイベントをユーストを見ていたので、

その時に話していたのと同じことをおっしゃっているなと、

(TVを通してより多くの人に知っていただけるのだなと)頷いてました」

 

とかとりあえずそれくらいしか言えなかったw

 

他の方が先生の方にいらっしゃったのでそこでいったん切れたかと思いきや、

 

少しずつ人が減っていって再びチャンスが!!

 

隣に座ったぁぁぁぁぁっしゃぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!

 

 

で、

これこれしかじかの関係で先生のイベントには何度も顔を出していましてという説明を

ある魔法の一言で片づけ、

 

「あーそう言えばなんか見たことあると思った」

 

ちょっと覚えてたよ発言いただきましたうぇーい☆

 

名前も覚えてもらったーたぶん。

 

そこから話は弾み、

 

俺の仕事のこととか聞いてもらえた。

 

 

「お薬を持って、患者さんのおうちを一件一件訪問しているんです」

 

先生が興味を持ってくださったので、

日々のエピソードをかいつまんでお話しした。

 

家でお看取りされる方、

老老介護

独り暮らしのおじいちゃんおばあちゃん、

難病の小児。

 

國分先生は保育所の問題についても関心がおありなので、

小児の訪問もしていると言うことは特に知っていただきたかった。

 

心を動かされたと言っていただけた。

 

話し込んでいるうちにどんどん人が減って、

会場近くの村田さんおすすめのお店に移動。

 

またもや隣の席陣取ったったドヤ

 

 

フィンガーフードだけだとみんなお腹が空いていたようで、

割とがっつり食事。

さらに赤ワイン投入w

 

こんなにワイン三昧になるとわw

 

 

この席は村田さんや蘆田さんのお身内の方ばかりだったので、

独りアウェーな俺はハジメマシテ光線。

 

ファッションやデザインの関係の方々なので、

こちらもあちらも新鮮な感じで。

 

こういうイベントに参加して良いなと思うのは、

普段なかなか関われないような、

しかも興味深い人と逢えることかな。

 

すごく刺激になる。

 

 

料理もワインもがっつり堪能して、

終電めがけて離脱。

まだまだ居たかったけどなー・・・

 

 

 

席を立つときに國分先生が、

 

「素晴らしい仕事してると思うよ。

俺感動して泣きそうだったもん。

誇りを持って頑張って」

 

 

もうね、

あぁ俺今日参加して良かった

って

いやもうそうとしか言葉にできないんだけど

 

本当に感無量です。

 

 

そんなこんなで、

 

単純な俺は、

 

人生、俄然やる気出てきたわけだ。

 

 

國分先生、

ありがとうございました。

 

次の本も即行で読んでまた追いかけます!!

 

中沢新一さんとの対談本を刊行予定とのこと。

超☆期待!!!!!

 

 

 

 

 

からの~

 

勝手に宣伝↓

中沢新一×國分功一郎 講演会
「どんぐりと民主主義――小平都市計画道路3・2・8号線建設問題から考える」

日時 12月8日(土)18:30開演(18:00開場)20:00終了予定
場所 小平市福祉会館 市民ホール

 

俺用事で行けないんだよなぁ・・・ぐぬぬ。

「本に入れるから。そしたら読んでよ」

だって。

もちろん!!

 

Fashion as Prodigality? 参加記念覚え書き

 

なんかものっそい長くなったのでテキトーに流し読んでね☆

そもそも俺による俺のためのメモなんで、

こまけーことは気にしないw

 

 

 

 

 

要予約先着30名という狭い枠の中、

告知直後に申し込んで無事参加。

 

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こんな感じの招待状が届いきました。

 

MA déshabillé

RECEPTION PARTY OF 2013 S/S COLLECTION

Fashion as Prodiaglity?-浪費としてのファッションは可能か?

2012年12月1日(土)

@SIEBEN

Talk :國分功一郎 with蘆田裕史

 

 

MA déshabilléの主催でいらっしゃる村田明子さんが國分先生の大ファンと言うことで実現した企画のようです。

 

 

 

自分は國分先生のおっかけとしてw参加しましたが、

大半はファッション、デザイン関係の方だった模様。

 

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待機中の1枚。

向かって右手に國分先生が、

左に聴き手として蘆田裕史さんが座られました。

 

國分先生は、村田さんにされるがまま、

とっても素敵な衣装にお着替えされたのですが、

写真撮りそびれましたw

流石は先生、めちゃ似合ってました。

 

 

トークイベントにTV出演にとご多忙でいらっしゃる國分先生ですが、そこはばっちりいつものようにレジュメを用意されていました。

いつも2枚程度なのが今回はA4サイズ4枚で、

「レジュメが多いときはまとまってないんです」とおっしゃっていましたが、

中々答えの出ないテーマではあるので、

話しながらみんなで考えましょうということで。

 

 

ファッションというテーマについて今まであまり深く考えたことがなかったとのことでしたが、

ご著書『暇と退屈の倫理学』にてボードリヤールを参考に定義された「浪費prodigality」と「消費consumption」を導入に話が展開されました。

 

 

言うわけでー、

『暇倫』読み直して予習して行った俺大勝利w

 

浪費は満足をもたらしてある時点で止まるけれども、

消費はむしろ不満足が溜まって際限がないよね、

という話。

消費において物は記号化されていて、消費行動は観念論的な行為だから一向に満足しないんですね。

 

この辺は、だいぶうんうん言いながら理解できてるつもり。

 

 

 で、

まぁ、

自分でまとめられないところは端折るよ。

 

 

服は何のためにあるのか?

防寒?

装飾?

 

ここで、

國分先生が、

ランボーが毛皮に穴開けて頭から被るんだよね」

という話をされて、

「詩人の方の(アルチュール)ランボーの話すると思ったのに」

とみんな後で突っ込んでたw

 

 流行-Fashion-に左右される服と

 流行-Fashion-に左右されない(保温や礼儀のための)服

 があるわけではなくて、

 服はそもそも装飾じゃないのか?

 ファッションが消費的であることはあり得るが、

 ファッションが本質的に消費なのではない。

 

 

と、

國分先生の結論がいったん出たところで蘆田さんにバトンタッチ。

 

蘆田裕史さんは京都服飾文化研究財団というところのスタッフで、

ファッションがご専門であります。

 

まず、

「人が何故服を着るのか?何故着初めたのか?」

について一般的に

①装飾

②身体の保護

③表示(礼儀とか)

④羞恥

⑤呪術

の5つが挙げられるけれど、

④の羞恥は違うよと。

隠すのが先だと。

隠してるから恥ずかしいんだよという話でした。確かに。

 

そして蘆田さんは、装飾がまず最初だとのこと。

 

次に、

「浪費」は満足をもたらすというけれど、

服を着て満足するってどんな時だろうか?

そして、「他者の目を通さない満足」って有り得るのだろうか?

と言う話で終盤に入り、

参加者と対話しつつ、

それは有り得ないよね、と。

人はファッションに関して個性と同一化を同時に求め、

そこには必ず「他者の目」があるという結論に至りました。

 

ってなんかすっきりまとめて終わっちゃう感じに違和感を持たれた主催の村田さんが、

「そんなN〇Kみたいな終わり方しないでもっとこう尖った感じで・・・」と。

 

以前『暇倫』のトークイベントのときに、

人間は死に向かって生きてるんだ云々美しいっていうのは死に近いんだ云々ってフロイトの話をしてたよねー

その感じが欲しい、

となったんですが、

ちと難しいのでゴニョゴニョ・・・

 

 

 

 

 

 

 

で、

お二人の話を聴きながら考えたことというか感じたことというか日常を思い返して。

 

 

 

ジャージすっぴんでどこまで行けますか?

ゴミ捨て?

コンビニ?

っていうのはまさに「他人の目」があるから出る話で、

そうすると服はやっぱり装飾だなと。

 

おしゃれって、疲れるよね。

ジャージ楽ちん。

かわいい格好ってしんどい。

ミニスカは寒いし動きにくいしパンツ見えるし。

ブーツやヒールは歩きにくいし足痛いし。

 

寒いの我慢して腹巻に毛糸パンツとか、

まさに外身は装飾なわけです。

 

 

あと、

個性と同一化が同時発生するという話については、

ちょっと前に(今も?)友達やカップルでお揃いを着るというのが流行ったらしいというのを思い出した。

示し合わせて、二人や三人でお揃いや色違いを着てコーディネートを合わせるというあれ。

そうすることで同一化も図れるし、目立つことで個性を発揮するなんてまさに同時発生じゃないかと思った。

 

 

 

そして、

自分はどんな服に満足するのだろうかと考えたときに

まず思い浮かんだのが、

コスプレ。

 

以前、榊原ゆいさんのライブに行ったとき

ゆいにゃんっぽい格好」でキメたら、

階段ですれ違った人に一瞬本人と間違えられる

という瞬間があった。

あの瞬間の感情は言葉に出来ないくらい何か高揚したものがあったなと思い出した。

 

國分先生の発言の中に「浪費した時は物との対話がある。服と俺がチームで「俺たち今見られてる!!イケてる!!」ってなるんだよ」というのがあって、

まさにそれだなと思った。

衣装を纏ってなりきって、

他者からも(似合うかどうかはともかくw)「それ」として見られて満足!!

、っていう一番わかりやすい例がコスプレじゃないかなと個人的には思いました。

この話、蘆田さんにしたかったなぁ・・・・・またきっと次の機会にもう少しまとめて、ね。

 

 

 

と言ったところでもうなんかまとまらないからおしまいにして、

アフターイベントの話も含めてto be continued...

私事ではありますが・・・

剣道初段から二段に昇段いたしました。

 

おめでとう俺ありがとう俺。

 

 

 

途中ブランクはあったものの8年かかった。

 

普通は2,3年で取れるもんです。

 

しかも、

基本を大事にした正しい剣道を教わってきたんで、

これだけ時間がかかるなんてだいぶおかしい。

 

 

昨年は数年ぶりに受審しようと申し込んで、

審査直前に怪我をして、

「お前にはまだ早い」と言われているようで、

落ちるより辛かった。

 

転職を決めた直後だったし余計に凹んだ気がする。

 

 

そんな訳で、

やっと人生初段を卒業した気分。

 

 

嬉しいのか悲しいのかよく分からん涙が止まらん。

 

心の汗やね。

 

 

三段を受審出来るのは2年後。

 

2年間でどれ程成長出来るかね。

ひとりじゃなかった!! LOVE&PEACE 2012 Autumn  ~to the Next Stage~

FIP国際薬学連合2012@アムステルダム

日本からの参加者の有志による報告会を開催しました。

 

 

FIP Congress報告会

 

 

一応俺も主催者の一人です。

 

まぁ、

完全に乗っかったったけどなw

 

 

告知から開催まで10日程しかなかったにもかかわらず、

30名近くの方が参加してくださり、

社会人と学生が半々という素晴らしい構成比率。

 

 

当日まで、どんな人が何を求めてくるのかほとんど未知。

 

 

 

でまぁ、

ふたを開けてみたら主催者の俺らが狼狽するくらい

学生も社会人も想定以上にハイレベルな発言を連発。

 

 

そんな中、俺も乗っかってちょっとだけしゃべったわけだが。

 

 

初めてFIPに参加して感じたこと

今の仕事やこの先にどう繋げるのか

頭に浮かんだことをありのまま話した。

 

 

 

 

 

身体的にも精神的にも海面すれすれの低空飛行が続いていて、

 

この報告会に向けて少しずつ回復させていた。

 

 

これからどうやって生きていけばいいんだろうと思ってた。

 

 

 

そんな中で、

自分の想いを言葉にしたら、

驚くほど反応が返ってきて、

 

自然と笑顔になっている自分に気が付いて涙が出そうで、

 

 

あぁ、

 

俺、

此処からまた生きていっていいんだ、ってね。

 

 

いっぱい間違えてきたけど、

 

それも含めて今此処に居るんだなって。

 

 

 

 

全ての出逢いに感謝します。

 

 

 

 

つーか、

集合写真、

何故か俺がド真ん中で写っててさーせんwww

 

 

 

 

 

次の目標が見つかりかけてる。

 

とりあえず来年は絶対発表するゼ。

 

英語もフラ語もやらなきゃ。