超・フェルメール鑑賞術(講座) By森村泰昌 #1 俺用講義ノート
超・フェルメール鑑賞術(講座)
@朝日カルチャーセンター新宿
12月15日、16日
講師:森村泰昌
初めて朝カルって所に潜入したけど、
なんかものっそい独特な空気やね。
おっさんおばはんばっかりやったけど、
いったいどんな人が参加してるのか謎w
別にフェルメール大好きとかではなくそれなりやけど、
森村さんがおもろいことしゃべるならと思って申し込んだまで。
三行で言うと、
何か最近フェルメールはやってるけどなんで!?
フェルメールの絵って意味深だけどどんな秘密が!?
大胆!?森村説とは!?
とかそんな話。
俺的に“ナマ森村さん”は、
広島での藤原帰一さんとのトークイベント*以来。
*2010年11月27日(土) @広島市現代美術館
記念対談:20世紀を思考する(対談集に収録)
美術鑑賞は好きだけどド素人だし、何の予習もせず行って大丈夫か!?と思いつつ。
☆森村さんが今回参考にした文献
『フェルメール デルフトの眺望』アンソニー・ベイリー
『フェルメール 窓からの光』喜多尾道冬
自分素人なんで、
専門的なツッコミはなるべく勘弁してくださいと断っておいて、
では。
☆フェルメールについて
まず、
フェルメールの作品について簡単にメモ。
17世紀にオランダで活躍した画家。
フェルメールと言えば、
『真珠の耳飾りの少女』や『牛乳を注ぐ女』
のように、女性の人物画がほとんど。
彼の作品数は、32~36点と言われているが、
その内、風景画は
『小路』
『デルフトの眺望』
という2点のみ。
また、フェルメールの絵はとっても小さい。
20cm×30cmとかそんなん。
では各論。
※絵については、
画像を拾ってきて貼っていいものか分からないので
自分でググってね。
☆『小路』
この絵は、デルフト(フェルメールが住んでいたところ)の風景を描いたものと思われるが、この構図に一致する風景は存在しない。
そのため一般的には、コラージュではと言われている。
本当にそうなのかもう少し詳しく見てみると、
この絵は風景画にもかかわらず、「室内から見下ろす形で描かれた」ことが分かる。
そしてそのさらに言うと、フェルメールの自宅のアトリエから運河を挟んで向こう岸に見える風景を描いたものである。
え?
さっき、一致する風景はないて言うたやん。
まぁ落ち着け。
確かに現存する風景は、ない。
フェルメールは、聖ルカ組合という画家の組合に所属していて、理事も務めた。
その聖ルカ組合の建物がフェルメールの家と運河を挟んだ向こう岸にあったことが記録から分かっている。
ではフェルメールはその聖ルカ組合を描いたのでは?と言うと、
残存する資料にある聖ルカ組合とは似ても似つかない。
で、もうちょっとさかのぼると、
実は、聖ルカ組合が建てられる以前、
その場所は養老院(たぶん今でいう老健)だったらしい。
フェルメールが描いたのは、
アトリエから見える養老院だったのだ。
そして、仔細は分からないが、その養老院を取り壊して聖ルカ組合を建てたようだ。
では、何故フェルメールはその風景を描いたのか。
画家が活躍するために重要な組合の新しい建物が出来る嬉しさと、
見慣れた風景がなくなっていく寂しさ、しかも、養老院という社会的弱者の場所が新しいものに塗り替えられてしまうことに対するどこか複雑な気持ちが混ざっていたのではないか。
なくなってしまうものを何か形に残そうとしたのではないか、
ということが推測できる。
実際この絵は、どちらかと言うと暗い。
ドアが閉じられていたり、ほとんど人気がない。
窓も黒ぃし、
複雑な心境の表れでは、という話。
みんなもそういうことない?
昔ながらの小さいお店がなくなって駐車場に変わったの見たら、
何か哀しくならへん?たぶんそういうの。
『小路』は初めて知ったけど、すごく気に入った俺はおセンチ?
本物観たい・・・
って実はたぶん観てるんだよなー
こないだアムス行ったときに。
全然記憶にない。
もうね、
俺のバカぁ!!と脳内でリピート。
この件については後半で後程もう少しkwsk
以上、
『小路』についての
森村さんの解説&考察+ちょっと俺のコメントでした。
次回『デルフトの眺望』とか、
浅田彰曰く「レンブラント:フェルメール≒ホッブズ:スピノザ」
の話とか、
の予定でー
つ・づ・く・・・