超・フェルメール鑑賞術(講座) By森村泰昌 #2俺用講義ノート
さて前回のつづきを。
フェルメールの風景画は
『小路』
『デルフトの眺望』
の2つしかないという話でしたね。
それでは『デルフトの眺望』
の前に、
今回の参考文献
『ヘルメスの音楽』より「光の充溢」浅田彰
を森村さんが解説、考察。
森村さん「浅田さんむつかしこと言うてるから聞いても分からんと思いますけど。僕もようわからんかったし(笑)でもちょっと読んでみますね・・・(引用)・・・ね?分からんでしょ?」
ここを書くにあたって、
もちろん『ヘルメスの音楽』を手に入れようと思ったけど割と入手困難で検索したらどこも在庫なし!!
アマゾンは中古のみ要相談ってやつだし。
頼みの綱の図書館でも閉架扱いでぐぬぬ。
その図書館も時間的になかなか行けず・・・
こ、ここは文明の利器いんたーねっつで!!
と、
ググったら、
このブログが1ページ目に出てきたんごwww
ってレベルなんで、
また手に入ったら捕捉します。
そんなこんな、
資料がないので、
ごくごく簡単に言うと、
フェルメールと、
同じ17世紀オランダの画家であるレンブラントを比較して、
って浅田彰がうにょうにょむつかしく書いてるんだけどもうちょっと分かりやすくならへん?って話。
で、
俺はこの時点で何となく分かった。
まだまだ不勉強だけど、
いきなりスピノザとかホッブズとか言われてもうろたえない程度には鍛えられてきたらしいw
スピノザはえっとえっと・・・
『汎神論』
そうそれ!!
ここで、美術の豆知識。
今はキャンバスと言えば白色だけど、
元々キャンバスって黒色だったらしい。
ぬーん。
知らなかったー。
黒地に色を載せていくのが普通だったんだって。
レンブラントなんかも黒。
白色のキャンバスが主流になるのは、印象派から。
絵を見れば何となく分かってもらえると思うけど。
そして、フェルメールは白地のキャンバスに描いた、
印象派の先駆けみたいな存在だそうな。
と言うのを踏まえて二人を比較すると、
レンブラントは、闇、混沌の状態に、自分が描くことで、カオスの中に秩序が現れてくる。そして、『夜警』に代表されるようにものすごく大きい「大作」ばかり残しているまさに「大芸術」。
で、
これは、ホッブズの、絶対的な君主を置くことで混乱した社会を統治する、という考え方に通じる、と。
一方フェルメールは、
一粒一粒光を集めるように、日常の一コマでさえ、無償の輝きを放ち魅了するものがあると。
これは、スピノザの『汎神論』に通じるのではないか、と。
森村さんが読んでくださった浅田さんの文章を一文だけメモしておいたので引用。
浅田彰 「(フェルメールの作品は) 信じがたいほど美しいという信じがたいほど無意味な言葉を繰り返すしかない」
で、
自分が思ってたことがだいたい当たっていたので独りで小さくドヤぁw
そしてその、
「美しい」ってどういうことなんだろうね、と。
※超ミラクル推薦図書!!
☆『デルフトの眺望』
デルフトの風景を描いた非常に美しい絵です。
これは流石に1m四方はあるみたい。
そしてこの絵も、『小路』同様、
室内の部屋から見下ろしたような構図。
光の加減から、時刻はおそらく午前7時くらいとのこと。
一見すると、
きれいなデルフトの朝。
でも、
この『デルフトの眺望』も人の気配がほとんどない。
手前の岸には数名の人物を確認できるが、
対岸の街は静まり返っている。
また、手前の空は少しどんよりとした雲がかかっていて
向こう側はとても明るい。
これはいったい何かありそうだ。
実はデルフトには大きな弾薬庫があったのだが、
1653年その大量の爆弾の大爆発をおこし、
街に甚大な被害が及んだという歴史がある。
当時、オランダではファブリチュウスという画家が活躍しており、
フェルメールはファブリチュウスを継ぐ期待の星だったとか。
そのファブリチュウスは件の大爆発で亡くなってしまったのだ。
この背景を踏まえて、絵を観ると、
手前の岸が現実で運河を挟んで対岸の美しい風景はあちらの世界ではないかと言うのだ。
これは、
ファブリチュウスをあちらに送るところだと。
河を渡るための小さな船。
手前の岸に描かれている人物は、
ファブリチュウスと彼を見送る妻子に、
そしておそらくフェルメール。
さらに、確かに、少し離れたところに聖職者のような人物が見える。
フェルメールはファブリチュウスへの追悼の想いをこの絵に込めたんじゃないかな、って話でした。
やっぱりちょっと難しくてあまりまとまってないが・・・
次回は、いよいよあの有名な絵が!?
たぶん次が最終回。乞うご期待☆
つ・づ・く・・・